日々野原や空で見つけたものを綴ります
心の野原や空で見つけた本や音楽、絵などのことも・・・
遊びをせんとや
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日に日に空が高くなっています。その空に刷毛で描いたような薄く軽やかな雲が浮かぶことが多くなりました。
とはいうものの、今日の日差しの強かったこと!

昨夜、娘たちがPCの前で何やら大騒ぎ。見れば「脳内メーカー」で盛り上がっていたのでした。あれは何人かで遊ぶと楽しいですね。
言葉としては知っていたのですが、試したことはなかったので、ついでに私の名前(本名)を入れてもらいました。結果を見て大爆笑!
私の脳内は何と全て「遊」 遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊・・・
他の要素はひとつもなく、遊の文字で埋まっているのです。
「おあそび」とはいえ、これはなかなか本質を突いています(笑)

小さい頃から宿題は先に済ませるタイプでした。決していい子だった訳ではなく、心おきなく遊びたかったから。今では、やらなければならないことと好きなこと、どちらも楽しめるようになってはきたのですが・・・

『ホモ・ルーデンス(遊戯的人間)』というホイジンガの著書があります。
人間と遊びとのかかわりあいを解き明かしたものですが、この中に何と上杉謙信の名が・・・戦いのさなかに、敵の武田信玄に塩を送ったのは「あきらかに遊びの規律への忠誠を示したものだ」と述べているそうです。・・・そうですと書いたのは、ホイジンガの著書を読んだのではなく、『ことばへの旅』(森本哲郎著 角川文庫)の「遊びについて」という章で引用されていたためです。最近、久しぶりに再読して謙信の名を発見し、ビックリしました。
森本氏は「遊び」とは要するに「ゆとり」であるとおっしゃっていますが・・・
遊びとは何かとあらためて考えてみると、なかなか難しいですね。
(他の章もたいへん面白いので、興味のある方はぜひ、お読みください。)

謙信の脳内にも「遊」の字が詰まっていたのかしら?!
こんなことを思い浮かべてみるのも楽しい遊びですね。

070928_1700~001_001.jpg午後5時を過ぎて、お日さまが沈み始めると、ようやく涼しい風が吹いてきました。
暑さでぐったりしているベランダの植物たちに水遣りをすると、ゴクゴクと音を立てて飲み干しました。
今は、シャッキリしています。

そういえば、梁塵秘抄の「遊びをせんとや生まれけん」
大好きです、このフレーズ♪


| 17:29 | くらし | comments(8) | trackbacks(0) |
萩だけは
070924_1042~002.jpg一般的には三連休最後の日ですが、我が家には全く関係なし。夫も長女も仕事、次女も授業があり、私は朝早くから普段通りにお弁当を作り、朝食を用意し・・・。

家族を送り出した後、用事のついでに、多摩川を見に行きました。青梅、羽村ときたら当然、福生の台風後の様子も見なければ・・・もう2週間以上経ちましたが、どうなっているでしょう。

駐車場に降り立つと、もう茶色く濁った川が!
以前は見えなかったのです。川原の草木が倒れたり失われているため視界が開けていたのでした。
園内には、子供たちが足を浸して遊べる小川が流れていますが、以前のように澄んではいません。遊んでいる子供たちもいませんでした。

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川沿いにはたくさんの注意書きがあり、広範囲にわたってロープが張られ、立ち入り禁止となっていました。やはり下流になればなる程、被害が大きいのでしょうか。

でも、少し高くなっている萩の小道は無事でした。
あたり一面にほのかな香りが漂い、蜜を求めて小さな蝶が何匹も飛んでいます。
ここだけはホッとできる空間が残っていました♪
| 17:26 | のはら | comments(10) | trackbacks(0) |
夜はうつくしき
             

ここ数日、昼間は真夏のような暑さです。
けれども蝉の声はいつの間にか聞こえなくなりました。
向日葵がどんなに輝いても夏はもう後姿。
 
お日さまが山の端に隠れると秋が静かに現れます。
夜が更けてくると、野原では虫のコンサート。
いったい何種類の虫が・・・何十匹、いいえ何百匹の虫がいるのでしょうか。

我が家は高い階にあるので、地面からは遠く離れています。
けれども、その音色はくっきりと立ちのぼってくるのです。

少女の頃から今まで、秋の夜に虫の声が聞こえないことは一度も無かったと思います。
あらためて考えてみると、これは素晴しいことではないでしょうか。
豊かな自然が無くなりつつあるといっても、秋の虫の「いのち」はずっと引き継がれているのです。

茨野(いばらの)や夜はうつくしき虫の声

与謝蕪村のこの句に、私は限りない親しみを感じます。
思い浮かんだイメージをスクラッチという技法で表してみました。
画材はクレパスです。
| 10:25 | イラスト | comments(10) | trackbacks(0) |
やっと向日葵が
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先週前半には秋の長雨に入ったかと思わせる日が続き、予報も雨と曇マークがずらりと並んでいました。ところが、ここ何日か東京は真夏のような暑さです。
少しでも涼しいうちにと早めに家事を済ませ、午前中に公園と図書館とスーパーヘ。
真夏には咲いていなかった向日葵がここへきて満開に・・・日差しを浴びて元気いっぱい!
ここの向日葵、高さは私の背よりあるのでミニヒマワリではありませんが、かといって昔からある向日葵のような重たさは感じさせません。色もただの黄色ではなく、白が入ったオレンジや、軽さのあるレモン色。
全体にモダンでオシャレな感じです。向日葵も今は色々な園芸品種があるのでしょう。
夏がこのまま去ってしまったら、やはり少し寂しい気もしていたので、青空に映える花の姿を目に焼き付けました。
それにしても、暑かった・・・フゥ〜。

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図書館の屋上から見えた空、ベランダから見える空、昨日の夕方の空。
今日は素晴しい速さで雲が変化していきます。南の空には薄い氷の破片のような月がもう見えています。あたりが暗くなる頃には南西の空で輝きだすでしょう。
昼間は真夏のようですが、日暮れはずい分早くなりました。
| 17:01 | のはら | comments(6) | trackbacks(0) |
1週間経っても・・・
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9月初めの頃の多摩川です。
青梅駅を南に下っていくと釜の淵公園という所があり、多摩川に沿って遊歩道が整備され、市民の憩いの場となっています。
仕事で青梅駅の近くに行った帰りには、時々訪れます。
この日、水量は普通でしたが、いつもより水が澄んでいるように感じました。こんなに綺麗なエメラルドグリーンの流れを見るのは久しぶりのことでした。
川が大きく蛇行したあたりでは「海から61km」の表示板を見つけました。
先日行った多摩川沿いの公園は「海から50km」でしたから、ここは11km上流になるわけですね。
川原は夏草で覆われていました。小さなライラックの木も2本。早々とススキも風に揺れていました。

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ところが一昨日行ってみると、静かで透き通っていた水は茶色に濁り、凄い勢いで流れていました。
いつもは、小高くなっている岸の道から、まず川原の石が見えます。さらに遠くへ視線を向けると川が目に入ってくるのですが、この時は眼下にいきなり流れが・・・先週の台風の影響で、水嵩がかなり増していたのです。
川原に続く階段を下りてみました。硬いパイプ製の手すりが、増水した水の勢いで折れ曲がっています。ここまで水に浸かったということ?!・・・想像すると恐ろしくなりました。
川原には流木がいっぱい。折れて短くなったのや、ツルツルに磨かれたようなもの。細い木は根っこごと運ばれてきたようです。
小さな草花は全て消えています。対岸の竹や小さな木も下流に向って倒れていました。

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今日は家から一番近い多摩川の様子を見てきました。
ここは川沿いに運動場がありますが、芝生が所々消失していました。そこを通って川原に出ると、葦や低木が全て同じ方向に倒れていました。ここには流木の姿はほとんどありません。
まるで黄河のような多摩川。いつもの2倍位、川幅があるように感じました。

川の水が元のように澄み、川原が草花に覆われるまで、いったいどの位かかるのでしょう・・・
昔の人々が川の神さまを祭った気持ちが分かるような気がしました。
| 15:05 | のはら | comments(8) | trackbacks(0) |
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